Tuesday, February 12, 2008

アクロス・ザ・ユニバース

マイレージを貯めているため、1月下旬に日本へ一時帰国した際に利用したアメリカン航空で偶然見た映画「アクロス・ザ・ユニバース」。

米国時間4日に、スペインのアンテナよりNASAの創設50周年を記念し、その日が録音40周年となっていたビートルズの名曲「アクロス・ザ・ユニバース」。

「よくやった!宇宙人によろしく言っといてくれ」とNASAに伝えたというポール・マッカートニーの発言はあまりよく分からなかったけれど、ビートルズの曲が北極星に向けて送信されたというのは面白い。その企画を持ち込んだ米国のビートルズファンの行動も謎だけれど、それにしてもこの映画は傑作だった。昨年夏頃にオンエアされた「アクロス・ザ・ユニバース」。





ニューヨークが舞台の、ジュードとルーシーが主人公のラブストーリー。

と、一言でまとめてしまうとひどく凡庸なビートルズ映画に聞こえる。

しかしつい2回も連続で見てしまったほどこの映画は傑作だった。

リバプール出身のジュード(これだけで完璧です)が、疎開になっている父親を探してやってきたのは1960年代のアメリカ。アメリカの古き良き時代は過ぎ去り、ビートニクはヒッピー文化にとって変わられ、公民権運動とヴェトナム戦争に突入する時代。
ジュードは、一緒につるむ仲間、アイビーリーグ系のマックスの妹、ルーシー(これも完璧です)に恋をする。
ある晩、マックスとジュードはニューヨークへ移ることを決めると勢いですぐに旅立った。

初めて移り住んだ大都会でひたすら遊びふける2人だが、そのうちマックスはヴェトナム戦争へ徴収されてしまう。兄のマックスを訪れながらニューヨークへ移り住んでしまった純粋な妹ルーシーは、恋人を戦争で失ったことも重なり、日に日に過激さを増すヴェトナム戦争とともに気付いたら反戦運動に関わるようになってしまっていた。
米国民ではないジュードは、徴収される理由もなく、ペインティングやドローイングに明け暮れる毎日。

遠い異国での戦争で怯えながら戦っている兄、毎日繰り返される街の過激な反戦運動と、方や一方ではアパートの一室で毎日アートに勤しむ恋人の迫で揺れるルーシー。気付けばは反戦を訴え、2人の関係も変わっていってしまう。ある時喧嘩を境に、アパートを出て行かれ傷心のジュードはその後当てもなく街を飲み彷徨う。しかしある時大きな反戦デモが行われ、警察に強引に取り押さえられるルーシーを見つけたジュードは、無我夢中で警察を払いのけルーシーを求めるが警察の手に捕まってしまい、英国へ帰ることとなってしまった。

再び地元リバプールの炭坑で働き始めるジュードだが、ルーシーのことがどうしても忘れられず再び米国へ入国。再度訪れたニューヨークでは戦争帰りのマックスと再会を分かち合う。2人がニューヨークの街を車で走っているとどこからともなく聞こえ慣れた声が...
それは昔つるんでいたミュージシャンの友人の歌声で、彼らのバンドはアパートメントの屋上で平和を訴える音楽を演奏していた。マックスとジュードは喜びとともに屋上へ駆け上り、久しぶりの友人らと再会を果たす。しかしそのゲリラライブを阻止しようと介入した警察の手によってメンバーらは下へ連れ下ろされるが、送還を避けるため警察の手をうまくすり抜けたジュードは、みんながアパート下へ連れ戻された後一人残った屋上で残されたマイクを手にする、そして....

と、まぁ表現もできないのは承知であらすじを書いてしまったが、

素晴らしいのはその映画の構成。
登場人物らのセリフがそのままビートルズの歌になる。もちろん原曲ではなく、出演者らによる歌。歌詞とセリフ、場面がいちいちピッタリで最高に気持ちが良い。場面によってはダンスや演劇みたいなシーンも多々あり、それら全てが独自のアレンジによるビートルズカバー。そう、映画「ムーラン・ルージュ」に近い感覚で物語は進んでくのだ。
それともう一つの見所は映像。
一つ一つの映像美はもちろんのこと、特に素晴らしいのはこの製作スタッフ達が、その時代背景を表すヒッピー文化を見事なまでのサイデリックな映像で表現しているところ。絶妙なトリップ映像に合わせて登場するのが、口ひげをつけカウボーイハットを被ったU2のボノ、歌うは「I am the Walrus」。ほらこれ、もう文句ないでしょう。

なんて見てない映画の説明こそつまらないものは無いんです。
それでも書きたくなってしまったのだから仕方ない。これを読んでくれた人は、日本で放映されたら一度見てみて下さい。
これが宣伝用ハイライト。




それと、この作品の小さなディテールも良かった。
もろリバプールアクセントな英語を話すジュード(なまりがマジかっけー)、今までタバコも吸ったことのなかったという少女をいとも簡単に反戦運動に没頭させてしまうほど強力で影響力のある戦争プロパガンダ、アイビーリーグ出身で反抗者のおぼっちゃんがナメてかかって参加する戦争、そしてそこでのトラウマに負傷の痛みにと様々な理由で利用するしかなくなるドラッグ、ひたすらフラワームーブメント一色のイーストヴィレッジ。
それでも特に、「一般」であったルーシーが、時代の波に飲まれ「活動的」になっていくというシナリオがツボだった。
それと、名曲「レヴォリューション」を唄いながら、反戦活動に明け暮れるルーシーの事務所に一人で「君は革命が必要だって言う。そりゃみんな誰だって世の中を変えたいさ。」と唄いながら殴り込むシーンが最高。戦争なんてどうでも良いと思って、アートに打ち込んでいるんじゃない、メガフォンを持って叫んでいれば正義なのか、とつっかかるシーンが素晴らしかった。「アクロス・ザ・ユニバース」、「Nothing's gonna change my world」。


そういえば、これに似たようなことを前に、2002年にブッシュ大統領が日本へ来日した時にもよく思った。
あの時参列した「来日反対デモ運動」で行進していたあるデモ団体は、誰一人として政治的意見を声高に主張する者はいなく、デモ運動が一通り終わるとそこで出会った者どうしで飲みに行った。カラオケと居酒屋、どちらにするかを悩んでいた。あの時ほどバカらしくなった時はなかったかもしれない。もちろんすぐに帰った。
でもやはりそういうものなのだ、と今なら強く思う。
ヒラリー・クリントンだって4年前にはイラク戦争を支持していた。当たり前のようにブッシュ政権のイラク戦争を非難している米国民の半数は当時、アフガニスタンを責めてアルカイダを潰すことに反対はしなかったのだ。日本で1960年代に学校封鎖などをした世代の人間だって、米国のイラク戦争に対しアクションは起こさなかった。何を思っていたか思っていなかったかではなく、みんな「行動」に出なかった。そう、彼らは年をとったし、時代の風が当時とは温度も風向きも何もかも違って見えたから、声を上げる人の数は少なかった。

ワールドカップが始まると突如現れる無責任でインスタントなナショナリズムにも同じようなことを思った。

偶然にもそんなような話を最近ある人とした。

彼女は911で夫を亡くした。彼女の持っていたオフィスは当時ワールドトレードセンター付近にあった。事件当時、彼女は取引先の人が灰で真っ白になって彼女を訪れたという。その前、最中、後かは覚えていないというがハッキリ見えたのはたくさんの人間がビルから落ちて行く風景だったと。彼女の視線に気付いた彼は泣きながら彼女に話しかけ、何を言うでもなく、きっとその後ろで起きている出来事から目をそらしていたんだろうね、と言った。
それでも私が体験した広島の爆撃に比べたらマシだったのかもしれないけどね、とも話してくれた。テロで夫を、戦争で祖父母を亡くした彼女は、無責任なナショナリズムやファッション化したアンチ・ムーブメントが一番嫌いだと言ってた。怒りや悲しみを抱えて黙っていることが正しいのかは分からないけれど、何も知らずに何の責任やリスクも背負わずに偉そうな行動をとるのを見ているのには腹が立つ、と。

昨年の今頃に見た映画を思い出した。ボブディランそっくりのアダムサンドラーとドンチードルによる映画「Reign Over Me(邦題:再会の街で)」





今日本で公開中みたい。
911、ニューヨーク、The Whoに興味のある方はぜひ。

めずらしく映画について書きました。
それではごきげんよう。


P.S. マリオットホテルのトイレで、ドンチードルを見ました(自慢)。

2 comments:

Unknown said...

「無責任なナショナリズムやファッション化したアンチ・ムーブメントが一番嫌いだと言ってた」
同意です。わたしもここ最近とみに思います。
ドンチードル、羨ましい!
アクロス・ザ・ユニバース、来たら必ず観ます。
feebie

kzy hsng said...

ぜひ観て下さい!

程よくポップに仕上げているところらへんがまた良かったんですよ。変にマニアックな映画って僕はちょっと苦手なので。僕が好きな映画っていうのはレンタル屋に必ず置いてあるような作品なんです。音楽ならエクストリームもかかってこいって感じなのですが。

ドンチードルは、一番端でトイレ中でした 笑